青い薔薇


 不可能を認めることができるかい。
 それを受け入れることができるかい。
 ああ。君はそれを可能にしてきたのだね。


 旅を続けてシズさまは一つ気付いたことがありました。それは「不可能」というどうしようもない事実についてでした。
 それまでシズさまは努力し、頑張ればどんな困難でも道はいつか開けると、前時代的な考えを持っていました。それを否定する術を自分は持ちませんし、そうしようと思ったこともなかったので、いつも通り、私はシズさまのバギーの助手席に座っていました。
 シズさまは現在、不可能を思い知らされ旅を続けています。けれど、そこにはむしろ努力で何とかなると強く信じていたときよりも、強い目を持つシズさまがいます。私は、それが誇らしいと思います。

 シズさまがその新しい信仰を持つに至った経緯をお知らせしましょう。皆さんは、あの闘技場での出来事かと思っていらっしゃるかもしれませんが、それは違います。あの時も、確かにシズさまは一回り強くなられました。けれど、あの瞬間のシズさまは未だ、自分の努力が足りなかったと信じられているようでもあったのですから。
 それはある国でのことです。その国は何とも貧しい国でした。昔は農業が栄え、自分たちで田畑を耕し、のどかな綺麗な国だったそうです。しかし、気候は変わるものです。我々がその国に入ったとき、空気は渇き、水道から出る水は本当に微々たるもので、「渇き」、そんな言葉が自然と浮かんでくるような状態でした。
 出入国の審査もろくになく、宿を紹介してもらって行って見ても、その宿はもう無い…そんなことが3回も続きました。そんな国でも、いやそんな状況になってしまった国だからこそ貧富の差は巨大になっていて、入国の際に言われたとおり、国の代表者の屋敷に宿泊し、来賓者のための宴に参加することを了解すれば、温かなお湯の出る風呂も羽毛の布団もある部屋に泊まる事もできたのですが、何と言うか…やはりシズさまはそれを選びませんでした。

「さて、困ったものだな」
 さして困った様子もないシズさまが一応、溜め息などつきながら3つ目も潰れた宿を後にしながら呟きました。そもそも、今現在私たちが歩いている国の中央からその宿への道自体、地面のタイルは禿げ上がっていて、多くの建物が窓が割られているか、もしくは窓には厳重にガムテープが貼られている状態でした。つまり、ろくに人も住んでいないようです。
「そうですね、シズさま」
 すでにバギーで一夜明けることも覚悟していましたし、とりあえず同意をしておきます。
 
「宿を探してるなら、ウチへおいでよ」
 いつからそこに立っていたのでしょうか。振り向いたその先にはシズさまよりもやや年上に見える女の人が立っていました。とても美しい女性で、けれどどこか艶かしい女性でした。
 とは言うものの、昔は簡単に騙されかけて大変だったシズさまですが、最近はさすがに「この手」の女に騙されるシズさまではありません。
「申し訳ないが、あなたの納得するような持ち合わせは無いんだ。申し訳ない」
 そう、軽く頭を下げて、歩き始めようとしました。
「失礼な男だね。何も取って喰おうなんて思ってないよ」
 失礼と言われるのはシズさまの本意ではなかったのでしょう。すぐに立ち止まり、改めて女に向き直ると、再度頭を下げました。
「そんなつもりではなかったが、侮辱と思われても仕方ない発言だった。すまない」
「別にいいよ。あながち間違ってはいないし。それよりもウチに泊まらないかい。」
「…」
「普通に我が家だよ。あんまり寝心地が良いとは言えないけれど、ベッドもある。ただし、タダではないけどね」
「どういうことだ?」
「手伝って欲しいことがあるんだよ」
「一体何を?」
 タダではない、その事実が逆にシズさまの関心を引いたようでした。シズさまが面白がってそれを問うと、女は逆に顔つきを真面目なものへと変え答えました。
  



「あなたが旅人さん?こんにちは」
 女に連れて来られた家には透き通るような白い肌と少し濁った色の白い髪をした少年がそこにはいました。
「こんにちは」
 シズさまが穏やかにそう挨拶をしたので、私も少し頭を下げました。
「青い薔薇の話を聞かせてくれるのですよね」
「ああ。薔薇は…」
「薔薇は良いんです。旅人さんが見た、今までで一番綺麗な花の話をしてください」
「花…」


  女がシズさまに望まれたことはさほど難しいことではありませんでした。シズさまが旅人   で あるならば、これまでこの国の住人である我々には想像もつかないような国を見てきた  だろう 、その話を息子にして欲しいということ。そして、その話のどこかに必ず、世にも珍し  い『青い  薔薇』を見たという話をして欲しいということでした。
 「青い薔薇?」
 「そうだよ、どこの国でもいいんだ。それを見たと、そう言ってくれるだけでいい。簡単だろ?」
 「いや、しかし、青い薔薇と言うのは…」
 「どこにもない、そう言いたいのかい?」
 「…」
  シズさまは黙って女の顔を見ていました。そして、私も黙ってその様子を見ていました。
 「青い薔薇はあるのさ。アンタはそれをどこかの国で美しく咲いていた、そう言ってくれるだけ で良いんだよ」


「君は、『青い薔薇』の話を探しているのではないのか?」
 少年の態度がシズさまが思っていたものと違ったのか、シズさまも若干態度を改め、そう率直に尋ねました。
「あなたは本当にそれを見た?」
 少年は真っ直ぐにシズさまの目を見て尋ねました。その目はまるでまるで…
「…見た」
 シズさまは少し迷った様子は見せたものの、ハッキリとそう答えました。その目は偽りではないとはっきり告げるように。
 すると、少年の表情は一瞬驚きを見せはしたものの、今度はとても穏やかなものになりました。
「そう、あなたはどこでそれを?」
「故郷で」
「故郷で青い薔薇が咲いているの?」
「いや、先日、国に戻ったときに見た。とても、美しい花だったよ。そう、それこそ君が言ってた『私にとっての一番綺麗な花』だ」
 シズさまは穏やかにその薔薇の話を少年にしました。何かを思い出すように。痛くて、美しい、シズさまにとってこれまでどこにも見たことのない綺麗な薔薇の話を。
「あなたは、その薔薇をもう一度見たいんだね」
 話を聞いた少年は呟きました。
「そうだな」
 シズさまの表情はあの闘技場での出来事以来、初めて見たというぐらい柔らかなものへと変わっていました。

「君は?」
「え?」
「君の青い薔薇は?」
「今晩、届くんですよ」
「今晩?」
「朝、目覚めると花が届いているんです。遠くに出かけている父が届けてくれたものだと母は言うんですけど、爪がね、青くなっているんです」
 そう、母親のことを話す少年は誇らしげ見えました。
「そうか」
「薔薇だってね、ここではもう白も赤もろくに手に入らないんです。でも、1年に1度、必ず青い薔薇が届けられて、母は言うんです。『父さんは遠い国で働きながらお前の病気を治す研究をしてるんだ。』って」
「そうか」
「青い薔薇が見たいって言ったのは、父さんの書斎の小説に出てきたからなんです。母さんは字を読むのがあまり得意ではないから」
「…」
「青い薔薇は『不可能』の証。でも、母さんは僕の希望だって信じてる」
「…」
「旅人が来る度に、偽物の『青い薔薇』を本物にするために家に呼ぶんです」
「嘘を、憎むかい?」
「嘘?」
「母親の嘘を憎んだことはないのかい?本物の青い薔薇を見つけることができない…」
「そんなものはないんですよ?」
「…」
「旅人さんは、この世の嘘全てを憎みますか?」
「…」
「願いは等しく叶うと思いますか?」
「…いいや、そうだな」

 シズさまはそのまま母親に会わずに彼等の家を出ました。
「行こうか、陸。ここは長くいるところじゃない」
「はい。シズさま?」
「なんだい?」
「シズさまにとっての『青い薔薇』は不可能ではありませんよ?」
「分かっているよ。けれど、あの子にとっては不可能なんだ。そして、この世には確かに不可能がある」
「はい」
「本当に、また見てみたいな」
「?」
「青い、薔薇を」

 それは不可能という絶望でしょうか?
 希望という夢でしょうか?
 きっと、どこかに咲いている。
 けれど、触れることのできない。
 そんな花。





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