アンドロメダ



「何してるの?」

 それは灯(あかり)がちょうど、空に向かって手を伸ばしていたところだった。夏休みももうすぐ終わり。そして、とても晴れた1日の終わり。蒸し暑い、けれどどこか爽やかな夜のことだった。
 灯自身、ちょっと危ないかなと思ってはいただろう。それでも、どこかへ飛び出したいと思った灯は家を抜け出し公園に来ていた。宿題は終わらないし、そうじゃなくとも親とは最近口も利かないくらい、関係は冷え切っていた。何もかもがむしゃくしゃしていたのだろう。しかし、エアコンの効いていた部屋から飛び出した反動もあるのか、飛び出した先は解放的なんて言葉とは程遠いもの。外は想像してたような、涼やかな世界じゃなく、そこは生きた熱のある世界。髪が皮膚に張り付き、喉がカラカラと音がしそうなほど乾く。耐え切れず灯は公園で水を飲んだ。錆びた蛇口を捻ると消毒された水の香りがする。蛇口を捻っただけで綺麗な水が出てくる所なんて今やどこにもないのだ。仕方なく灯はその水を口にふくみ顔を上げた、その瞬間のこと。
 星が流れたのだ。
 3回願い事をするとか、そういう発想ではなく、灯はその星に触れたい、そう思ったのだ。星自体が流れた時間はおそらく1秒か、2秒。しかし、灯の瞳にはそれは映画のコマ送りのようにくっきりと見えた。そして、何か宝石を見つけたかのように、空に向かって、恐る恐る手を伸ばしてみた、その瞬間。
「ねぇ、何をしてるの?」
 右手後方から突然、しかも自分より幼い女の子の声が聞こえ、その瞬間、灯の思考は止まっていた。更に声が近くなったのを感じ振り向くと、そこには腰のあたりまであるだろう髪を二つに分け三つ編みにし、黄色のワンピースを着た少女が立っていた。
「ねぇってば、お姉ちゃん、聞こえてないの?」
「ああ、ごめんね。何?」
 3度目の問いにやっと反応を返すことができた。だが、灯でさえこの時間に外にいることは変と言えるのに、目の前の少女はさも当たり前のように灯の目の前に立ち、微笑んでいるのだ。戸惑うのも無理はなかった。
「だから、どうして手を、伸ばしていたのかなって」
 少女は無邪気に聞く。無邪気とはよく言ったものだ。子どもは邪気の塊だと、灯はよく考える。無意識ではあっても無邪気ではありえない。分別もなく、唐突で先が読めない。悪魔のような生きものであると。だからこそ、よく喧嘩もするし、時には親を巧妙にだまし、時にはぶつかりあったりする。考えすぎだと思うけど、灯は自分自身をそういう風に判断していた。だからこそなのか、こんな夜遅くに現れたこの少女も、灯には不気味にしか感じられなかった。
 けれど、例え少女がどんなに恐ろしい悪魔だとしても、今の灯には好奇心の方が勝っている。
「星をね、掴めないかなと思ったの」
 灯は小悪魔の誘いに乗ってみることにした。
「星?」
「ええ、空の星に、手が届くんじゃないかなって思ったのよ」
「手が・・・」
 返事と言うよりはそれは呟きに近いものだった。同時に少女は灯の腕に手を伸ばし、そして触れた。
「この手が、腕が星に届いたら何か起こるの?」
 そもそもきっかけは流れ星だった。3回願いを唱えるよりも、手を伸ばした灯だ。何かが起こるとか、そんなことは考えていなかった。
「そうね、何か起こるといいね」
 気付いた時には呟いていた。少女に引き込まれる。青い空、後ろには白い月、黄色のワンピース、微笑む少女。
「探しに来たのかと思った」
「え?」
 突然の少女の言葉に対し、灯はついそのまま聞き返してしまった。
「あのね、手を、伸ばしていたでしょ?手を空の真上に向かって伸ばして、それで思いっきり目をぎゅうってしてたから、誰かを探しているのかなって・・・」
 こうも次々に身に覚えのないことを言われると戸惑わずにいられない。空で誰を見つけるというのだろう。疑問に思いながらもどこかで、心がざわめいた。
「あなたは、誰か探しているの?」
 精一杯、心のざわめきを悟られまいと尋ねた。
「うん。それがあたしの宿題だから」
 力一杯に微笑む少女。
「宿題?」
「そう、お兄ちゃんがね、空にいるもう一人の自分を探すんだって、それが宿題だって言ってたの」
 宿題、灯は何を探しているのだろうか。『星を掴む』なんて突拍子もないことできるなんて思うほど、子供ではない。けれど、どこかで何かが見つかるんじゃないかと期待してしまう、夢を見てしまう程度には灯はまだ子供だった。
 
 学校で誰かの悪口を聞いて腹が立っても何も言わない自分。親に行かされている塾に、本当は行きたくないのに何も言えない自分。そんなものが全部嫌になって、それでも前へ進まなきゃいけないことをどこかで分かってて、それで灯は見つけようとした。
 
 それは――
 見つけなきゃいけない自分。
 きっと囚われている自分。
 それを探せば・・・

 灯はもう一度、空に手を伸ばしてみる。
「探したら宿題の完了かな?」
 さっきよりも何か手ごたえがある気がして胸がいっぱいになって、思わず少女に聞いた。
「うん、そうしたらもっと『自由』になれるんだって。それがあたしの夏休みの宿題なの」
「自由に」
「そう、皆持ってる宿題なんだって。でも、皆はまだ済んでないの」
「皆、持ってる」

 人間誰しも、人生に課題を抱えて生きている。
 何かを見つけたくて、何かを探してる。
 囚われている自分の鎖を取ろうともがいている。
 手を伸ばせば届きそうな、だけど何億光年も向こうにいる自分。
 
「お姉ちゃんも、宿題?」
「そう・・・」
 振り向いた瞬間、そこには誰もいなかった。
 灯の前にあるのは夏の終わりの湿り澱んだ空気とそれから、風に揺れてキシキシと軋むブランコ。

 そして、もう一度星を見る。
 灯が探しているのは何だろう。
 夢?
 愛?
 希望?
 押さえつけ、隠し続けた、自分。生活の生け贄。
 溜まりに溜まった夏の課題。
 
 もうそろそろ、秋になる。
 後悔をする前に課題を済ませて、灯は飛び出す。



あとがきにかえて。
宮沢賢治はもちろん尊敬していますが、そこまで意識してません。
が、言われる言われる。やはり彼は偉大な作家ですね。
文芸部のテーマ「教訓」のNOISEで執筆したものに多少加筆。
宿題は早めにやれ!って教訓です。(正気です)
水瀬はもちろんできません。


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